ひたちの街から この木なんの木、気になる木
 日立市の道路をテクテクと歩いていたら、カリンの実が見えた。
と、よく見ると、株式会社の敷地内じゃないか。
しかも、会社玄関の前!。
オレの経験では、一般企業の敷地内にフルーツの木があるのはかなり珍しい方だ。

写真
日立市にて 2001年11月9日撮影

 カリンがよく成っているのが嬉しい。
玄関の脇に、カリンの実と、色付いた葉っぱがあって、かなり見栄えがしていると思う。

 果樹を玄関先に植えるというのは、毛虫がつきやすいことや落ちた果実で地面が汚れたり、果樹そのものの樹形が元々あまり見栄えしないことが結構あって、美しくキメルのはなかなか意外と難しいのだが、オレは〜植えることは賛成だね。

あの木なんの木、気になる木
 さてさて、企業内カリンを見た後、オレはまたテクテクと道を歩いていると、今度は夏ミカンの木を見つけた。
夏みかんにしてはずいぶん果実が黄色いな〜?。
淡い黄色なので、ひょっとしたらグレープフルーツかもよ。

写真
日立市にて 2001年11月9日撮影

 グレープフルーツのタネから育てたのではないか、とオレは推測したが結局わからずじまい。
グレープフルーツは房状に成る柑橘類であって、千葉県までは一応成っているのを確認してある。

 さて、日立市は海岸沿いで比較的温暖なため、夏みかんの木を庭の敷地内に植えている家がとてもたくさんある。
樹形も良くまとまっており、冬の景観にたくさんのオレンジ色の果実が照っているのは、じつに見栄えがいい。

並木なんの木、気になる木
 日立市には名物?としてアンズの並木がある。
アンズの並木通りというのがあって、桜やポプラじゃねえよ、果実が実る並木なんだ。
そういう道路があるんだ。

 五月下旬だったか、もう日射しは暑かった。
日立市の中心街を歩く。
アンズ並木通りのことは情報として知っていたが、一度も見に行ったことがなかった。
ちょうどこれからその道路を歩くところだし、熟すころだ。

 補足説明すると、アンズ並木というのは、茨城県内ではかなり独特で珍しい、といえる。
ウメなら茨城では一般的なんだが、アンズの木となると全く一般的じゃない。
アンズはやや冷涼地に適した果樹のせいか、茨城県では数少なくて、茨城育ちのオレからみても近所ではあまり見かけない果樹だ。
※では、ウメの並木や街路樹があるかというと、一度も見たことがないけどさ。

 ウメとアンズはよく似ていて、無理に例えると、ウメが完熟して黄色くなったのが、アンズによく似ている。
青い梅はナマで食べると有害らしいが、黄色く熟してから食べるなら問題ないようで、味もちょっと似ている。
黄色い完熟梅をナマで食っても、うまいものではないけどな…。

写真
アンズの実
この写真はオレが撮影したものではなく、並木のアンズでもなく、
別ホームページから引用したものだ(現在リンク切れ)

上を向いて歩こう
 ナマで食うなら、アンズの方がずっとうまい。
梅とアンズはもともと近縁の果樹で、実際に交配もできるし、明白な見分け方としてはアンズは離核で、果肉とタネをパカッと離すことができるのが特徴だ。

 さて、アンズの並木通りはどこにあるかというと、日立駅の駅前道りではなくて、少し離れた別の通りにあって、テクテクと歩きながら木のこずえを注視していると、んん〜、確かにあるぞ、果実が!。
地面には果実が落ちていなかったので、拾って食うことができないでいたが、そのうちには手頃なのが落ちているだろう。

 と、歩いていくと、ビニールを広げて、はしごをかけてアンズをとっている数人の人物が見えた。
町内会かな。
「何をとっているんですかあ?」と、オレは知らないふりをして、とぼけながら話し掛けてみた。
すると、一人のおばさんが嬉しそうに「アンズですよ、アンズ。これ少し、はい」と数個、熟したものを選んでからくれた。

 やったね、もらっちゃった。
かじると、モモとウメがまじった感じで、イイ感じの果実だ。
なんといっても魅力的なのは、市街地の中でありながら、道路に面した街路樹に実がなって、それが食べられるという意外さだ。

日出ずる処、日没する処
 植えられてからもう何十年もたっていて、樹木も町並みもあいにく老朽化した感じで、アンズ並木そのものは、もうよぼよぼ老木という雰囲気だが、近所の住民に大切にされているようだ。
第一、粗末にされているとすれば、歩道に果実が落ちても利用されずに腐ったままになっているもんだ。
それがほとんど落ちてなかったし。

 さて、アンズをもらった後にオレが向かった先は、日立市労働基準監督署。
道の途中で見かけたハローワークは大盛況だし(不景気っつーことね)、オレはジョーシの遠回しのしつこいしつこい退職誘導だの話して、あーだのこーだの話をして、結局、職員からは「(辞めろとは)直接言ってないので問題あるとはいえない。法律をクリアしてます」だとォゴルア、やる気あんのかバカヤロウ!。

 二〇〇二年は電器メーカーで大量の退職が行われた年で、社員自身が自ら辞めるようにと、会社側の事情は伏せて会社都合ではなく、職場環境を改善しないまま追い詰めて、自己都合で自ら退職を言い出すように、ひたすらオマエ(社員)が悪い、と迫るやり方が、オレはとてもズルいと感じたし、会社側が正当性を言い張るわりには、全て口頭だけで済ませて途中の書類を残さないのは、本当は正しくないことをやっているからだ。

 それが日立市労働基準監督署の見解では違法ではない、というのが、あまりにも悔しかった。
二〇〇二年六月、日立グループの会社を九年三ヵ月つとめたのち、オレはリストラで失業した。
憎悪や怒りで気分は大荒れで、オレは職を求めて、三十三歳で再出発となったのだ。

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