ユスラウメの続き
 台木というのは、果樹というのはほとんどが「接ぎ木」をしていて、この接ぎ木の基部のことだ。
接ぎ木の手順は、タネを撒いて、このタネから芽を伸ばした後、途中で切り落とす。
そして、別の優れた果樹の枝を継ぎ合わせる。
胴体はそのままで、アタマだけすげ替えるわけだ。

 人体だったら拒絶反応が起きるところだが、果樹はこれでくっついてしまう。
このまま育てば、優秀な木のクローンが出来上がるというわけだ。
動物や人間のクローンは現代でも難しい技術だろうけど、果樹では一般的に行われていて話題にもならないというのが、不思議なところだ。

 なお、継ぎ木は近縁の種類同士に限られるから、ミカンをリンゴに接ぐことはできねえけどな。
で、台木から伸びた芽というのは、果実の品質がよくないものが大部分なので、伸ばさないことが多い。
だが、オレが育てたユスラウメは、台木から伸びた可能性があった。
そうでない可能性もあったけどな。

 でもよ、花がほとんど咲かなかったし、実がならねえんだもんな、何年も。
伸び出した所が微妙だったのでわかりづらかったし、台木なのか接ぎ木なのか、念入りに調べるのは年月ばかりかかってメンドクセエ。
ハッキリした苗で全力挙げて栽培しなおそう、ということにして、この素性不明のユスラウメは切っちまった。

 白実ユスラウメも花少々で実はほとんどならずじまいだったことと、それに本によると白実ユスラウメは実の成りがイマイチらしいので、ついでに切っちまった。
切った年は、一九九七年(平成九年)だったかな。

果樹バブル
 そのころ、オレの果樹栽培は熱が上がっていて、たくさん植えまくっていた。
一番最初に植えた年から数えると、すでに十年ぐらいたっていた。
が、大きな問題があった。
それは、本数ばかりが多いわりには収穫がほとんどない、という状況に陥っていたことだ。

 ユスラウメだけじゃない。
他の多くの果樹がまだまだ成らなかったのだ。
苗木を買って投資したわりには、ろくに収穫がなくて、店で果物を買った方が安いという大赤字の状況を示していた。
でも、世話はしなくちゃならないから、手間とヒマはたくさんかかってしまい、でも全部までは手が回らなくて、キウイや甘柿など簡単なものまで管理不十分の状態に陥っていた。

 多種類の果樹を植えていたが、実入りは少なく、つまり不良債権化していたとでもいおうか。
ちょうどそのころは、日本経済のバブル景気はとっくに終わって、銀行・証券会社の倒産が騒がれていたころだ。
なんといっても大問題だったのは、日当たりの良い場所の不足であって、面積からいえば限られた数しか植えられないのに、多すぎる本数を植えていたことだ。
苗木のうちは小さいから、見た感じではなんとか大丈夫だろうと思っていた。

 が、育ってくると全然大丈夫じゃなさそうだった。
で、毎年あいかわらず収穫が少なかったので、これをキッカケとしてシビレが切れたオレは、本物のナタを振るってバッサバッサと切って大整理した、というわけだ。
その一環として、ユスラウメもリストラ、というわけだ。

ユスラウメ再建
 だが、ユスラウメに関しては新たな使命のもとに再建を計ることになった。
使命というのは、オレの栽培では不振の極みだったスモモ・アンズ・プルーンのためで、近い仲間であるユスラウメを育てることによって、実が成る技術を習得しようというものだ。
オレが育てたスモモ・アンズ・プルーンは、枯れたものもあったが、木が大きく育ったわりには実がほとんど成らなかった。

 というわけで、リストラ(伐採)の主対象となってしまった。
こんなハズではなかったんだけどさ。
こうして、ユスラウメ(赤実)だけを再び植えなおすことにしたわけだ。

 まあー、述べればそういう経緯があったわけだけど、なんだよこりゃあ〜、イチからやりなおしじぇねえかよ、本にゃ栽培簡単と書いてあったじゃねえかよ!、違うだろチキショー、責任とってくれよ果樹の本の著者!、もう十年もたっちまったよザケんな、こんなバナナ!のアタマきたぞオレは!(思い出したらなんだかキレてきた)。

ユスラウメ 再びチャレンジへ
 今度は自宅の庭で、場所を変えてやりなおしじゃい!。
今度こそは、マジで、手マメに、細かく管理して、オレの知識総動員して、実らせたる!。
本の情報によると、白実は実の成りが赤実よりは悪いということなので、赤実ユスラウメだけ栽培することにした。

 日当たりの良い場所へ赤実を一本。
これは露地植えだ。
さらに鉢植えでも一本。
赤実ユスラウメを計二本植えて、確実性を重視した。
これでよし。
ゴー!。

新生ユスラウメ
 苗木を買ってきたのは、一九九七年の二月前後のころだと思う。
その年の四月には花が咲いて、五月下旬には数個収穫があった。
まあ、買ってきた苗木は元々枝振りが良かったので、最初の年は成っても当たり前かな。
本番は次の年からじゃい!。

 この年は一九九八年だったな。
一月か二月ごろに丁寧に剪定した。
よし。
春になって開花した。
よし。
葉っぱが出てきた。
よし。

 伸び過ぎると、日当たり不良の枝も出ると思ったので、発芽が多すぎる部分はむしった。
残した芽の発育は順調。
よしよし。
結実も心配だったが、幼果はまあまあ着いた。
順調だ!。

テントウ虫でアブラムシ退治
 だがな!、急にユスラウメの新芽が枯れだしたので、よく見たらアブラムシが大量に発生していた。
いくらなんでも多すぎる数で、どんどん増えてきた。
こりゃヤベえと思い、どうしようかと思案したあげく、テントウ虫に食べさせようと考えた。
以前、アブラムシに殺虫剤を直接かけたら、葉っぱが枯れたことがあったしな。

 菜の花のところにテントウ虫を探しに行ったが、一匹も見つからず。
エンドウらしき野菜のところにも行ったが、これまた見つからず。
電灯の周りでも探そうかと思ったが、ビックリグミの葉にテントウ虫の幼虫がよくいたことを思い出して、探してみたらいました、いました。

 テントウ虫の幼虫の姿は、ちょいと無気味だ。
が、一匹ずつ、計約十匹をユスラウメの枝に移し替えておいた。
幼虫はすぐにアブラムシに食い付いて、さっそく大活躍しはじめた。
一週間ぐらいたってから見たら、アブラムシの数が半分ぐらいに減っていた。
オレは、効果の大きさに驚いた次第だ。

 これで問題なし。
はたして、一九九八年はユスラウメをボツボツ収穫できた。
成功だ!。
やればできたじゃねえか!。

鉢植えのユスラウメ
 鉢植えのユスラウメは、露地植えの一年後に購入したと思う。
一九九八年度は発育中心で、枝振りもよく成長した。
鉢植えは水やりが大変だが、一九九八年は梅雨明けしないまま秋になってしまったため、とくに水やりはしなかったが、雨水で枯れずにすんだ。

 次の年は収穫できそうだ。
だが、水やりはやっぱりしなくてすむ方がいいと思って、一九九九年の初春にビックリグミの跡地(一九九九年の初春に伐採していた)に、この鉢植えユスラウメを露地植えしておいた。
そして、冬の間に丁寧に剪定もしておいた。

一九九九年度 ユスラウメ収穫
 庭植えのユスラウメは花が咲いた。
よし。
元・鉢植えのユスラウメも花が咲いた。
よし。
結実はどうか、と心配したが、かなりの数が結実した。
よしよし。

 しかし、元から露地植えのユスラウメは、新芽がごっちゃり伸びてきた。
芽の数が多すぎると思ったオレは、かなりの数をむしっておいた。
これで、枝への日当たりは充分確保した。
一方、元・鉢植えのユスラウメは、枝の発育が悪かった。
鉢植えだったから、養分が不足気味だったらしい。

 元・鉢植えの木の方は、なんだかみすぼらしい姿だ。
切ろうかと思ったが、もったいないと思ったので、仕方なく残しておくことにした。
元から露地植えの元気いっぱいのユスラウメの方は、ぐんぐん発育した。
が、この年もまたアブラムシが大量に発生してきた。
またかよ。

 そこでまたテントウ虫の幼虫をなんとか探し出して、ユスラウメの枝に移し替えた。
果たして効果大で、アブラムシは数週間でなんとか退治できた。
ふう〜、よし。

 ユスラウメの果実は五ミリ以上に育って、もうじき収穫だと思っていた。
それがだ!、急に発育不良になったと思ったら、果実は茶色に変色して、全部ダメになってしまった。
なんでだああ?。

 一方、半ば見捨てていた元・鉢植えのユスラウメは赤く熟してきた。
で、こちらは収穫できた。
元気一杯の木は収穫ダメで、みすぼらしい木の方が収穫できたという皮肉な結果となってしまった。

写真
成ったユスラウメ 1999年6月5日撮影

 どうやらオレの地域では、黒土が深いためか、木が伸び過ぎてしまって、実が成りにくい傾向があるようだ。
鉢植えにした方が、むしろ実が成りやすいんじゃないかな、とオレは思っているところだ。

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