柿食えば日本の秋 甘柿編
 最初、オレは「柿」にはあまり興味がなかったんだ。
でも「柿」は最も代表的な家庭果樹だから、その影響で育てるようになっただけなのさ。
もともと、オレの家にも以前から柿の木があった。

 というか、近所なら大抵植えてある果樹だと思う。
普通のごくありふれた、そう、気にもとめるわけでもなく、興味もそれほどもなく?かな。
だが、園芸の本を読んで知ったことは、柿にはものすごくいろんな種類があるんだ。
柿の中にも、さらに細かくいろんな柿がある、ってことなんだ。

写真
実った松本早生富有柿 1998年11月2日撮影

北関東の甘柿栽培
 甘柿栽培にだんだん興味がわいてきたので、何の甘柿を植えようかなと思って、果樹の本で調べてみた。
そしたら「次郎柿」というのが評価が高い。
なんだ、この柿なら、すでにオレの家にあるやつじゃねえか。
親が植えた甘柿で、もう二十年ぐらい経ってるやつだ。

 果樹の本によると、次郎という人が発見した甘柿で、関東以南に適するんだそうだ。
関東以南に適する、かあ。
オレが住んでいる場所は、北関東の茨城県だからな。
本の説明図だと、茨城県は甘柿栽培の北限近くになっていた。

 これは意外だったな。
甘柿は、近所ではあまりにもごく普通にあるからだ。
北限だとかは考えもしなかった。
そもそも甘柿というのは、西日本から関東地方にかけての、暖かい地域に適する果樹だそうだ。

 シブが抜けて甘くなるためには、ある程度の気温が必要らしい。
ただしミカンほどの暖かさは必要ないようで、最近の園芸本では福島県まで栽培可能となっていることが多い。
でも、そんなことは当時のオレにはわからなかったから、なんとかしなくっちゃと思ったんだ。

 そこで、柿の専門書を探し出して調べたところ、早生(わせ)の柿を植えれば比較的良いらしいことがわかった。
早生というのは熟期が早いタイプで、冬が来る前に熟するから都合が良いんだ。
念入りに検討したところ「一木早生次郎柿」というのが良さそうだった。
一木は「いちき」と読み、次郎柿の中から早生のものを発見した人の名前だ。

苗木の購入いろいろ
 検討の結果、「一木早生次郎柿」を植えることにした。
長い名前だから「一木次郎」と呼ぶことにしてみっか。
ただ問題は、この一木次郎は一般的な柿ではないので、近所の園芸店では全く扱われていないんだ。
どうやって買えばいいのか困ってしまった。

 園芸本の末尾に園芸店が紹介されていることがあったので、とりあえずそこに電話したら、果樹カタログを取り寄せることができた。
が、一木次郎は載っていなかった。
結局は、柿の専門書の著者や静岡県の業者に電話して、すったもんだの苦労の末に、渋柿の四ツ溝柿と一緒に買うことができた。

 ヤレヤレ、大変だったわい。
あいにくなことに、届いた苗木は状態が悪かった。
ま、しょうがない。
買えただけでもありがたいと思うことにしよう。

 柿について、さらに興味がわいてきたので、他にもいろいろ購入することにした。
通信販売の果樹カタログを利用して、早生柿の「伊豆」「筆柿」「前川早生次郎柿」「松本早生富有柿」「甘ツルノコ柿」、さらに、一般的な「富有柿」も購入した。

 「富有柿」は「ふゆうがき」と読む。
耳で聞くと「ふゆーがき」だから、冬の柿かとオレは勘違いしたもんだ。
とりあえず買って植えた柿は、大体こんなとこだ。
いろいろと植えたもんだ。

柿が成り出すまでの試行錯誤
 植えてしまえばそれで済んでしまったような気分になったが、世話だってしなくちゃならない。
でも、それからの年月がとても長いでやんの。
簡単だと思っていたんだが、予想外なことに苦労の連続だった。

 桃栗三年、柿八年、というけどなあ〜。
そうはいっても、これはタネから育てた場合で、今では接ぎ木苗を買えば、そんなに年月はかからない、ということになっている。
本によっては、柿は三年目から実が成る、と載っていることがある。
でも、三年なんて無理だったねえ。

 オレのところではそんなに早く成ったことがない。
収穫できるようになったのは、五年目ぐらいから、だな。
むしろ、五年以内はほとんど収穫がなかった、ともいえる。
ここで、失敗の話をまとめて述べてみるとしよう。

伊豆柿は失敗
 オレは早生柿に興味があったから、「伊豆」という早生柿を植えた。
この伊豆柿は、結局のべ十数個ぐらい収穫できた。
だけど、これは切ってしまい、今はない。
問題は虫に弱かった。

 虫といっても、果実につく虫じゃない。
幹につく虫だ。
オレは今まで、柿の幹に虫が食い込むなんて思ってもいなかった。
見たこともなかったし、現在までのオレの経験でも、柿でこのような被害があったのは、この伊豆柿だけだった。

 この伊豆柿、植えて六年目ぐらいだったか、根元の皮の内側にたくさんの白い幼虫がもぐりこんでいた。
皮の下は黒く腐っていて、ほじって取り除いていったら、幹の周囲にわたってぐるりと樹の皮がなくなってしまった。
その年の成長が弱かったのは、根元がこのように腐っていたためだとわかった。

 腐った部分はけっこう大きく、幹の上下の皮は再びつながりそうもなかった。
で、残念ながらこの伊豆柿は伐採となった。
伊豆柿は、商業用としてきちんと管理された果樹園なら良いらしいが、オレのような粗放栽培には不向きみたいだ。

筆柿も失敗
 筆柿は十年近くかかって樹が大きく育ったが、一九九七年以前の収穫はゼロ。
一九九七年もゼロ。
日当り十分だし、枝の伸びも十分だし、同じころ植えた早生次郎は収穫が始まっているのに、筆柿はなんで不調なのやら。

 一九九八年には、五月に伸びた枝につぼみがついていないかと丹念に探したが、ひとつも付いていなかった。
つぼみがなければ、花も咲かないし、実もならない。
この年も収穫ゼロになるとわかったオレは、しびれをきらして、筆柿の樹もとうとう切ってしまった。

 結局、筆柿は一個も収穫できずに終わってしまった。
オレも果樹栽培は、すでに十年経過。
いつまでも成らないとばかり言っているわけにはいかず、場所も狭いから、実がろくに成らない果樹は将来性も怪しく思えてきたから切っちまった。

一木次郎から前川次郎へ
 一木次郎は、最初の数年間は発育がとても悪かった。
だが、その後、枝葉の過密を剪定して取り除いたら、元気に伸びるようになった。
そして五年目ぐらいから、実が成るようになったんだ。
一木次郎は成り過ぎるような感じで、ひとつの枝にゴテゴテと串ダンゴ状態で実が成った。

 そのまま収穫できればいいんだが、ヘタ虫という害虫の被害が多かった。
果実が過密のためではないか、と、オレは推測した。
そのころオレは「前川早生次郎柿」という早生柿も植えてあった。
これは「前川」という人が発見した早生タイプの次郎柿だ。

 「前川早生次郎柿」では長い名前なので「前川次郎」と呼ぶことにしてみっか。
一木次郎と前川次郎は、ほとんど同じような柿だが、本で調べた限りでは、前川次郎の方が評価がちょっと良いようだ。
一木次郎に対して、前川次郎の方はつぼみの数が多く着かないようで、そのため果実は串ダンゴ状態にならないようだ。
このためか、ヘタ虫の被害が比較的少ないように感じた。

 オレとしては前川次郎の方が気に入った。
そのころ、畑はそんなに広いわけでもねえのに、苗木をあれこれ買い過ぎていた。
畑は、本数が多すぎて密植になっていた。

 遅かれ早かれ、いずれ何かは切らねばならなかったと思う(弁解)。
それと、甘柿を植えた畑は林に隣接しているんだが、これが大問題で、トリ(カラス?)の被害が多いでやんの。
そろそろ熟したと思って見に行くと、トリに食われて、甘柿は皮だけになっているありさま。

 木にアミをかぶせようと思ったが、柿の木は高いから難しかった。
というわけで、考えた末に、畑の甘柿は前川次郎一本に限定することを決断し、一木次郎等は切ってしまった。
こうして、植えた甘柿で残ったものは、二本だけ(畑と庭に一本ずつ)になってしまった。

ヘタのヘタ虫
 柿のことで注意すべきこととして、ヘタ虫のことをちょいと述べておこう。
栽培が下手だとヘタ虫の被害にあう、といったらダジャレだが、実際、管理が悪いと多発するみたいだ。
オレか?。
結構、被害うけてるがね。

 ヘタ虫の被害がてきめんにわかるのは、九月から十月始めにかけてのこと。
一九九八年の果樹は、気候の影響で全国的に熟すのが早かったらしく十月から柿の出荷が始まっていたけど、そういう気候の影響とは別として、九月から普通の柿がダイダイ色に色付くことがある。
九月に柿が色づいて、そして地面に落ちているなら、ほぼ間違いなく被害果らしい。

  ヘタ虫の被害による果実であって、虫に食われた果実は、とても早くから熟してしまう。
一応熟したわけだけど、虫が入った弊害で黄色になったわけだから、本来の成熟とは違う。
第一、虫が入っているし、食ってもなんだか変な味だから、オレはこんなの食いたくねえ。

 被害果の色付きと早生柿の色付きが時期的に近いから、混同しがちで、オレは最初、勘違いしたもんだ。
収穫してびっくり、虫に食われてやんの。
柿のヘタのところにオガクズのようなものが付いてて、それは虫の糞なのであった。

 ヘタ虫というのは、柿の害虫として最も代表的らしい。
対策か?。
農薬ぶっかけると、結構効くらしいが、でも使いたくねえな。
第一、カネが要るからな。

 んじゃ、どうすっかというと、てっとり早いのは放任しておくこと。
どのみち全部が被害に遭うわけじゃないから、せいぜい半分ぐらいまでということも多いから、放っておいても結構大丈夫だったりする。
オレ自身も、よくそうしている。

大器晩成か?前川次郎
 前川次郎という早生の甘柿は、予定では十月中旬から採れるはずだった。
本来、前川次郎はそのころに熟す性質をもっている。

 しかし早生柿なのに、植えた前川次郎はなかなか熟さないでやんの。
まだかまだかと思っているうちに、普通の次郎柿の方が早く熟してしまった。
なんなんだよ、早生柿がオクテになってしまったというのは!。

 結局、前川次郎は一九九八年の十月下旬から十一月上旬になってから収穫したよ。
まったくしょうがねえと、ブツブツ文句言いながらも、まあ、それでも収穫できること自体がありがてえことだから喜んで収穫したけどな。
収穫は十個ぐらいか。

 小さな木だから、こんなもんかな。
柿の栽培に手間どって今まで年月がかかってしまったが、この年は収穫がまあまあ良かったんで、ヤレヤレという気分だ。

 一九九八年はヘタ虫の被害を少なくできて、果実も結構大きく成らせることができた。
オレにしちゃあ、うまくいったね。
熟期の遅さが問題だが、原因はまだ若木だから、かな。
熟期については来年以降の課題としよう。

松本早生富有柿も収穫
 前川次郎の以外としては、「松本早生富有柿」の収穫もあった。
これも長い名前だな。
マツモトワセフユウガキ、だもんな。
富有柿(ふゆうがき)の早生タイプを発見した人の名前が、松本さんという人であったためだ。

写真
実った松本早生富有柿 1998年11月2日撮影

 オレの松本早生富有柿は、これまた熟すのが遅いでやんの。
十一月になってから収穫したありさま。
本来なら十月中〜下旬収穫なんだけどな。
まったく、どうしようか。

写真
なかなか良いものが収穫できた 1998年11月8日撮影

 といっても、成り出したてからまだ二年目だからなあ〜。
若木のうちは、熟すのが遅い傾向があるんじゃねえかなあ。
この松本早生富有柿は、一九九八年は合計四〜五個の収穫だけ。
まだまだ小さい木だから、こんなもんだね。

オクテのワセガキ
 それにしても、前川早生次郎柿も松本早生富有柿も、こんなに熟期が遅いのではオレとしても困ってしまうぜ。
早生じゃない「普通の次郎柿」が一番収穫が早いありさまだもんな。
これでは、わざわざ早生柿を植えた意味がなくなってしまうじゃねえか。

  どうすっか?。
ところで、前川次郎も松本早生富有柿も、樹の形がどうも良くねえ。
中心となるべき幹が曲がっているし、今後もさらに傾きそうだ。

  樹がでかくなってから改造するのは面倒なことだし、大がかりな剪定をやるなら今のうちだ。
というわけで、一九九八年の暮れから一九九九年にかけて、枝をバンバン切り落とした。
西暦二〇〇〇年度からは、気分一新して収穫できるようにしたいと考えている。

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